1.日時 | 2012年8月31日(金) 18:30~20:30 |
2.場所 | 北九州市立男女共同参画センター・ムーブ 5階小セミナールーム |
3.講師 | 北九州市立大学地域創生学群 伊野憲治 教授 |
4.参加者 | 50名 |
2011年に軍事政権が解散し名目上は民政に移行したミャンマーでは、2015年に次期総選挙が実施されます。ミャンマーの民主化運動指導者で最大野党 国民民主連盟(National League for Democracy、NLD)党首のアウンサンスーチー氏の動向が注目される中、この分野の第一線で研究を行っておられる伊野先生にミャンマー政治についてお話いただきました。
【講演資料より】
はじめに
1988年9月~ 2011年3月29日 |
軍政時代 |
2008年5月29日 | 新憲法制定 |
2010年11月7日 | 総選挙実施 |
2011年3月30日 | 新政権誕生、テインセイン(首相)が大統領に、ティンアウンミンウー(国家平和発展評議会[SPDC]第一書記)及びサイマウンカン(シャン人)が副大統領に就任。 |
2011年11月4日 | 政党登録法改正 |
2011年11月13日 | アウンサンスーチーを自宅軟禁より解放 |
2011年11月25日 | 国民民主連盟(NLD)政党登録を申請 |
2011年11月30日 | アウンサンスーチー、2012年国会議員補欠選挙への出馬表明 |
2012年4月 | アウンサンスーチー、補欠選挙で当選 |
↓
・軍とアウンサンスーチーの雪解けは続くのか?
・ミャンマー政治の今後は?
・ミャンマーの民主化のゆくえは?
Ⅰ ミャンマー政治の勢力図(国内アクターを中心に)
(1)国内アクターの基本的対立図式(図1参照)
90年代総選挙結果
軍(SPDC) VS. アウンサンスーチー(NLD)
軍(SPDC)・連邦団結発展協会(USDA) VS. アウンサンスーチー(NLD)・88年世代
①軍(SPDC)の現状 | |
*民主化・政治に関する基本姿勢(90年総選挙結果の無視、軍主導の民主化、軍の政治的影響力の確保、国民政治の体現者としての軍)+経済的権益 | |
→一枚岩。 | |
*キンニュン首相失脚(2004)→軍部内での実践派の実権確立。 | |
*独立以降、最も軍部独裁的性格が強い=強硬。 | |
②アウンサンスーチー(NLD)の現状 | |
*アウンサンスーチー中心(アウンサンスーチーが解放されると、活動が活発化)。 | |
*90年総選挙の結果尊重 | |
→制憲国民会議の否定。 | |
③USDAの現状(一般的見方) | |
*1993年結成、軍の大政翼賛的組織。 | |
*GONGO(政府が組織したNGO)。 | |
*新憲法下では、政党として政治参加を目指す。 | |
④88年世代 | |
*アウンサンスーチー自宅軟禁中は、民主化運動の実質的活動を担う。 | |
*軍政そのものに対する批判が強い。 | |
*海外の民主化運動組織との関連性も深い。 |
Ⅱ アウンサンスーチーの思想と行動
1 アウンサンスーチーの主張
(1)政治論的主張
西欧近代民主主義
民主化=国家・国民の大儀→国家・国民の尊厳の回復
経済改革より政治改革が先
体制批判は少ない
(2)道徳論的主張
規律
ビルマ人の悪しき修正の是正
アウンサンのような人間→国家・国民の尊厳の回復
(3)少数民族問題
(4)経済問題
(5)父アウンサンについて
↓
「精神の革命」
2 アウンサンスーチーの目指すもの
(1)現状認識: | ①恐れという感情による人々の堕落 |
②独裁者による伝統・文化・価値の独占・支配 | |
③独裁者によるナショナリズム(愛国心)の悪用〔狭隘なナショナ リズムの鼓舞) | |
↓ | |
国家・国民の尊厳の喪失 | |
↓ | |
尊厳回復のためには=「第二の独立闘争」「アウンサンの道を歩め」 | |
(2)民主化は、そのための手段=民主化闘争は目的でもあり手段でもある |
3 どうやって?=アウンサンスーチー思想のバックボーン
(1)父アウンサンから | |
*「アウンサンの道」=固定したものは無い | |
*「真理の追究」、国家・国民のために誠実さと忍耐、勇気をもって自らの使命を果たす。 | |
*思想と行動の一致 | |
(2)マハトマ・ガンディーの影響 | |
*「恐れからの解放」「自治の精神」→地方遊説「恐れるな」、規律・自己抑制 | |
*真理の実現の場としての政治=政治と倫理の結合→民主主義・人権の基盤としての「慈悲」、仏教の社会契約説、日常生活での真理の実践 | |
*目的と手段の合一→非暴力・不服従、本来の目的を歪める妥協の拒否 | |
→1990年総選挙結果の尊重 | |
*思想と行動の一致 | |
(3)仏教思想の影響 | |
*ガンディーの「バクティ(愛)」→仏教の「慈悲」 | |
*「慈悲の実践」→「恐れからの解放」 | |
*仏教的社会契約説 | |
↓ | |
*「大多数が認めない命令・権力に対しては、国民の義務として反抗せよ」 | |
*軍事政権に対する、非妥協的とも見える行動 |
4 アウンサンスーチーの思想と行動の射程
(1)政治と倫理=政治における「慈悲」 |
(2)「東洋」と「西洋」の調和的融合 |
(3)民主化へのプロセス:「アジア的価値論」への問題提起・挑戦 |
5 今回の対応は
・1990年総選挙結果の反故を認める |
・しかし新憲法の実質的容認(軍の政治的影響力確保の実質的容認) |
・総選挙結果の容認 |
アウンサンスーチー氏にとっては内部矛盾でもある。 |
Ⅲ 今後の展望
・軍の政治姿勢は? |
・アウンサンスーチーの動向は? |
・ミャンマー的民主化? |
参考資料:アウンサンスーチー略歴
1945年6月19日 | ヤンゴン市に生まれる |
1945~57年 | ヤンゴン市のSt.フランシス修道会学校で学ぶ。 |
1957~60年 | ヤンゴン市イギリス・メソジスト高等学校にて学ぶ。 |
1960年 | 在インド・ミャンマー大使に任命された母とともに、インドのデリーへ行く。 |
1960~61年 | デリー市のキリスト・メリー修道会学校で学ぶ。 |
1962~63年 | デリー大学、レディ・スリ・ラム・カレッジで政治学を学ぶ。 |
1964~67年 | オックスフォード大学、St.ヒュー・カレッジで政治経済学を学び、学士号取得。 |
1968年 | ロンドン大学アジア・アフリカ研究所政治学部で、研究助手を務める。 |
1969~71年 | ニューヨーク国連事務局行財政委員会の書記官補を務める。 |
1972年 | マイケル・アリスと結婚。 |
1972~73年 | ブータン外務省研究員を務める。 |
1975~77年 | オックスフォード大学ボーダリアン図書館で、編纂研究員を務める。 |
1985~86年 | 京都大学・東南アジア研究センターの研究員を務める。 |
1987年 | インドのシムラで、インド教育省の特別研究員を務める。 |
1988年4月 | 母の看病のためヤンゴンへ戻る。 |
1989年7月20日 | 自宅軟禁。 |
1991年7月19日 | サハロフ賞受賞。 |
1991年10月14日 | ノーベル平和賞受賞。 |
1995年7月10日 | 自宅軟禁から解放。 |
2000年9月21日 | 逮捕、自宅軟禁。 |
2002年5月6日 | 自宅軟禁解除。 |
2003年5月30日 | 保護、自宅軟禁。 |
2008年5月10日 | 新憲法に関する国民投票実施。→新憲法承認。 |
2010年11月7日 | 総選挙実施。 |
2011年3月30日 | 新政権誕生。テインセイン大統領。 |
2011年11月13日 | 自宅軟禁から解放。 |
2012年4月 | 補欠選挙立候補、当選。 |
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