世界をつなげるフィリピンの女性たち
– 小ケ谷 千穂
フェリス女学院大学 教授
1.パンデミック下の世界で働くフィリピン人女性
2020年12月、世界で初めてCOVID-19のワクチン接種が実施されたというニュースが世界を駆け巡った。「世界で初めてのワクチン接種を受けられて幸せだ」と語るイギリス人高齢者の姿がニュースにあふれる中、その彼女にワクチンを「世界で初めて接種した」のは、24年間イギリスで働いてきた、フィリピン出身のナースだった。パンデミック下で、にわかに日本でも言及されるようになった「エッセンシャル・ワーカー」、「人々の暮らしを支える上で必要不可欠=エッセンシャル」な仕事に従事する労働者の一人であったフィリピン出身のナースに、世界はどれほど注目しただろうか
2.ケア労働とエッセンシャル・ワーク
OVID-19が日本より早く深刻な状況になったヨーロッパでは、エッセンシャル・ワーカーと呼ばれる人たちの多くが移民や外国にルーツを持つ人たちであることが、早くから指摘されていた。移民(あるいは移民ルーツである)という「エスニシティ」(民族性・文化的要素)と、「女性」である、という「ジェンダー」が重なりあった立場の人たちが、食料品店のカウンター、介護や看護の現場、個人家庭での家事労働などのエッセンシャル・ワーカーの多くを占めていたのだ。
フィリピンをはじめとする多くの国々の女性たちが、移住労働を通していわゆる先進国でのケア労働に従事する構造を、社会学者のホックシールドは「グローバルなケアの連鎖」とよんだ。女性の国際移動を通して、途上国と先進国・新興国間にケアの連鎖が生まれ、その連鎖の上位にいるほど豊かなケアを受けられる、という構図である。在留資格「興行」でのフィリピン人エンターティナーの受け入れ(米国国務省による「人身売買の温床」としての指摘により2005年に厳格化)や、農村での国際結婚、そして介護分野や最近では特区での家事支援人材の受け入れが始まっている日本もまた、さまざまな形で、移動する女性たち、とくにフィリピン人女性の「ケア」に頼ってきた社会でもある。
3.フィリピンの海外雇用政策と海外出稼ぎ女性労働者
出稼ぎ立国だ。現在約218カ国に約1,000万人の在外人口(=総人口の1割)がいると言われ、こうした海外フィリピン人からの送金はGDPの1割近くを占める。「最大の輸出品は人」と言われてきたフィリピンからは、パンデミック後も年間約200万人以上の労働者が海外に出ているが、その半分近くはケア労働に従事する女性たちである。彼女たちの家事労働・介護労働者としての就労は、常に危険にさらされ、賃金や労働条件も守られにくい職場であり続けてきた。1995年に「移住労働者のマグナ・カルタ」(共和国法8042号)を制定したフィリピンにあって、常に海外労働者の権利保護という課題を政府に突き付けてきたのは、こうした海外で働く女性労働者たちの存在であった。送り出し国として、家事労働者の最低賃金を決めたり、資格を付与したりとさまざまな施策を試みてきたフィリピン政府ではあるが、依然として海外で働く女性たちの権利侵害は絶えず、また、フィリピンの多くの大衆映画が今日まで描いてきたように、家族が送金に依存し続ける中、「母」や「娘」たちへのプレッシャーは増すばかりだ。
4.BPO産業とフィリピンの女性たち-フィリピン国内にいて、世界をつなぐ
2000年代以降のフィリピンで、海外出稼ぎに次ぐ経済の柱となってきたのが、IT-BPO産業である。代表的なのは、多国籍企業のコールセンターで昼夜を問わず働く大卒の女性たちだ。エアコンの効いたオフィスや、パンデミック下でも在宅勤務が可能など、「英語を使った収入のよい仕事」として人気を集めているコールセンターの仕事も、実際には夜勤の多さや不安定就労と無縁ではない。そこでもまたフィリピンの女性たちは、世界中の消費者と企業とを「つなぐ」役割を、英語能力と、ある種のケア労働(「カスタマー・ケア」)を通して担っている。韓国人や日本人の若者向けのフィリピンの英語学校で講師を務めるフィリピン人女性たちもまた、同様にケア労働的な役割を期待されながら、世界を「つないで」いる。
振り返れば、フィリピンの女性たちは、以前からずっとグローバル経済を影で支えてきた。1970年代からの輸出向けの外資系工場で働く「器用な指先」とされた女性たち。セックスツーリズムの中で外国人男性から消費され搾取されてきた女性たち。こうした女性たちと、メトロマニラのコールセンターで、そして日本の高齢者施設で現在働いているフィリピン人女性たちは、つながっている。時代を超えて、グローバル経済を、世界を「つないできた」女性たちなのだ。
5「つながれた」世界は、彼女たちをリスペクトできているのか
歴史的にスペインやアメリカの植民地支配下にあったことにより築かれてきた英語力とホスピタリティの上に、「明るいフィリピン人」「大家族でケアに向いている」という言説が生まれてきた。そのことが、皮肉にも、低賃金でグローバルな「ケアの下請け」とも言えるような役割をフィリピン人女性たちが担うという世界的な構図を生み出してきた。彼女たちのさまざまなケアを通して「つながれてきた世界」は、果たしてその「ケア労働」の価値をきちんと評価できているのだろうか。「女性向け」の仕事とされやすい低賃金、重労働、長時間のケアやサービス職種。それは、「外国人だから」やってくれるだろうとされる低賃金、重労働、長時間職種でもある。パンデミックを契機に、こうした移住女性によるケア労働が、社会にとっていかに「エッセンシャル=欠くことのできないもの」であるかが、あらためて浮き彫りになった中、ケア労働の価値をどう考えるか、という課題は、日本を含むすべての世界に共通する課題である。
日本で暮らすフィリピン出身の女性たちの多くは、ミックス・ルーツの若者たちの母親でもある。さまざまな分野で活躍する、多様性を体現する若者たちを日々育ててきたのは、彼女たちだ。こうした母親たちの貢献も含めて、わたしたちは、フィリピン出身の女性たち、そして広く移住女性たちの存在を、リスペクトできているのだろうか。
小ヶ谷 千穂(おがや ちほ)
フェリス女学院大学文学部コミュニケーション学科・教授
横浜市男女共同参画審議会委員(会長)
川崎市多文化共生社会推進協議会委員
1997年一橋大学社会学部卒業。2003年一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程単位取得退学。横浜国立大学教育人間科学部准教授を経て、現職。専門は国際社会学、ジェンダーと国際移動。主にフィリピンからの人の移動を中心に、香港やシンガポールなどに家事労働者として働きに行く女性たちの組織活動や、出身家族との関係について研究。その後、ヨーロッパや北米で暮らすフィリピン人移住者のネットワークや、国境を越えて移動する子どもたち、「ダブル」「ハーフ」と呼ばれてきた若者たちの語りをもとにしたアイデンティティ研究を進めている。
フィリピン留学中の2000年より、日本から帰国した移住女性とその子どもであるJFC(Japanese Filipino Children)のエンパワーメントに取り組むDAWN(Development Action for Women Network)の活動に参加。JFC劇団「あけぼの」日本公演や各種DAWNの活動を日本側からサポートするDAWN-Japanの一員として活動。大学教員になってからは、日本の学生とJFCとの交流活動にも取り組んでおり、最近ではDAWNをはじめとするJFCと母親たちの支援組織の歴史とその役割についても研究している。
主な著書に『移動を生きる:フィリピン移住女性と複数のモビリティ』(有信堂高文社2016年)、 『国際社会学』(有斐閣・共編著2015年)、『家事労働の国際社会学』(人文書院・共著2020年)。最近の論文に、「移動から考える“ホーム”-画一的な“ステイ・ホーム”言説を乗り越えるために」(『現代思想』Vol.48-10特集:コロナと暮らし―対策の現場から、青土社2020年)、「日比間の人の移動における支援組織の役割:移住女性とJFCの経験に着目して」(共著・フェリス女学院大学文学部紀要No.55、2020年)、「共生を学び捨てる―多様性の実践に向けて」(岩淵功一編『多様性との対話-ダイバーシティ推進が見えなくするもの』青弓社2021年)など。
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